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サッカー=ジーコ監督が退任、「悔いも恥じることもない」 [東京 26日 ロイター] サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会で1次リーグ敗退を喫した日本代表ジーコ監督が26日、正式に代表監督を辞任した。 ワタシがジーコに対して言いたいのは、「お疲れ様でした」「ありがとうございます」「ご迷惑をおかけしました」の3つだけである。 監督経験のないジーコが日本代表監督になると聞かされたとき、ワタシはたったひとつのことだけを念じた。「日本よ、どうかジーコに傷をつけないでくれ」と。それでなくても、日本はかつてファルカンに侮辱ともいうべき仕打ちをした前科があるのだ。そういえば、ファルカンは岩本の左サイドにこだわり、ジーコはアレックスの左サイドにこだわった。黄金の中盤を構成したふたりが、ともに日本で数少ない「オレが、オレが」的な選手にこだわったのは、偶然とは思えない。 ジーコも、なぜ日本の監督をやろうなどと思ったのか。住金時代から日本のサッカーと関わって、とてもリスキーな仕事だと言うことはわかっていただろうに。母国ではスポーツ大臣も務め、着々と第二のペレとなるべきルートを歩んでいたというのに。やはり、ペレに比べて現場に対するこだわりが強かったのだろうか……。だが、ジーコの真価を知るサッカー先進国には、ジーコが求める現場はなかった。程度の差こそあれ、「2代目神様」に傷をつけることを恐れたからだと思う。そして、それがタブーとして確立しかかっていたとき、日本は無神経にもジーコが欲していた現場を与えてしまった。ブラジルサッカー協会は頭をかかえたことだろう。 トルシエとジーコには共通点がある。どちらも、できるだけ日本の国内のサッカーから代表チームを切り離そうとしたことだ。ただ、方法論が違うだけである。日本のサッカーで結果を残すということが、「世界に互していけるチームを作る」という観点からはなんの意味もない、ということを、ふたりとも出発点にしていたわけである。そして、選んだ少数の選手に対して、トルシエは、枠をつくることを選び、ジーコは作らないことを選んだ。トルシエは「下手な考え休むに似たり」と考え、ジーコはそれでも考えさせることを選んだ。フィジカルの不利をカバーするサッカーを自分たちで考えていくことを、「自分たちのサッカー」をやるためには下準備が必要であるということを教えたかったのだと思う。自分が見込んだ少数の選手たちならば、それができると信じていたのだと思う。ジーコの最大の失敗は、これが「見込み違い」だったことだろう。「体格をなんとかしなければ」というコメントは、ジーコの白旗である。だが、それ以上に、日本のサッカーが、近い将来にブレイクすることはない、という予言でもある。 惨敗を指揮官のせいにするのはやさしい。だが、それで問題のコアがおろそかになってはなんにもならない。ジーコにとって、ワールドカップの価値は自明だっただろうし、そこに臨む心構えを教えなければならないなんてことは想像の範囲外だっただろう。シュートに持ち込む方法論を教えれば、得点はとれると思っただろう。ワールドカップのなんたるかを教えることも、「どうすればシュートが入るか」を教えることも、代表監督の仕事ではない。 細かい采配ミスは多々あった。だけど、ねばり強く日本に「サッカーとはこういうものだ」ということを教え続けてくれたジーコに、ワタシは深く感謝している。
by ka-takeuchi
| 2006-06-27 15:13
| スポーツ(サッカー)
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