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(追記-2006年07月13日) 真相告白、といいつつ、マテラツィの発言内容については伏せられたままでした。それはいいと思います。ジダンがあえて避けているのを、しつこく「内容は?」と迫るキャスターは、生理的嫌悪を感じさせてくれましたから。 ですが、こんな茶番を見せられるぐらいなら、どちらも口を閉ざしたままでいてほしかったという気がします。ジダンが、これまでの実績にすがって「ボク、悪くないよね」と訴える場にすぎなかったわけで、興ざめです。愚挙に出た根っこについての理解を求めたもので、これを聞いて「ジダンは悪くない」と考える人はけっこういるでしょう。特に、これまで英雄と崇めてきたジダンを「弱い選手」と最終的に結論づけることをためらってきたフランス人には格好のきっかけだったと思います。ですが、これを認めることは、今後いかなる選手が個人的理由でチームに迷惑をかけても、それが個人的であれ正義の実現のためであれば、限定なしに許さなければならないと言うことを意味します。正義の実現に、選手としての才能や能力、そして実績による差別的取り扱いは許されませんから。 ちなみに、ワタシはフランス人ではありませんし、ジダンを許すとか許さないとかを考える気もありませんが、マテラツィの発言内容如何に関わらず、ジダンの行動を理解する気はありません。ましてや、弁解など聞きたくもありません。どんな理由があっても許されない行為であり、それだけです。その意味で、この「真相告白番組」が放送された当日に、FIFA会長が「MVP剥奪の可能性」に言及したのは、わざとやったのでは、というぐらい皮肉がきいた展開でしたね。 (追記終了) 決勝退場のジダンがMVP W杯ドイツ大会 【ベルリン10日共同】国際サッカー連盟(FIFA)は10日、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の最優秀選手に贈られる「ゴールデンボール賞」に、フランスの決勝進出に貢献したものの、決勝で退場処分を受けた司令塔、ジダンを選出した。 ジダンが関与しているから問題がややこしくなっているとしたら、なんか納得がいかないなぁ。同情論が多いというのも納得がいかない。ジダンが自分をコントロールできなかったことは事実だし、こういうケースは過去何度もあったが、こういう問題にはなっていない。もちろん、これがきっかけで暴言問題が注目を浴び、問題意識が高まるとしたらそれはそれでいい。だが、ジダンが頭突きを試合中にかましたことは事実だし、これは彼のキャリアの汚点として残らなければならない(別にただひとつの、というわけではないしね)。 今大会に関しても、おそらくルーニーの退場はロナウドの挑発が原因で、そこには「暴言」もあっただろう。過去をひもとけば、98年のベッカムの退場もシメオネの挑発が原因だし、02年にはオルテガがファン・デル・サールの挑発に乗ってあごに頭突きをかました。暴言で挑発して暴発させる、というのは、W杯においては常套手段なのだ。本来ならばとても褒められたものではないはずのこういう手段があたりまえのように使われる、そうしてまでも勝とうとするのがW杯であることは決して見過ごされてはならないはずだ。 (補足) サッカーは西欧文化の産物であるというのは、厳然とした事実です。西欧社会におけるルールは、「人によって異なる『やっていいことと悪いこと』を定める」ものであり、ルールの範囲内は、最大公約数として「アリ」の世界です。ルールというものの認識が曖昧で、だからこそ「正々堂々」といった感覚が持ち込まれやすい日本の感覚で語っても意味はありません。今回挙げた例でも、加害国は全部違うサッカー先進国です(ポルトガルは少し微妙ですが)。「口で挑発して暴発を誘う」のは、境界線の内側なのです。だからこそ、過去の例は退場した側の愚かさのみが語られたし、今回のジダンの例にしても、その瞬間はフランスの放送局が、マテラツィがなにか言うシーンを確認しつつ、「それはないよ。やめてくれ、ジダン。なんと愚かなことだ」とかいうコメントをしていたのです。 こういうシーンは、通常のリーグの試合などではあまり見られないのも確かで、これは、「勝たなければならない」度合いが、ワールドカップとは桁違いに低いからです。ルールの範囲内ならばフェアなのであり、勝たなければならないときはフェアであればなんでもするのが戦争です。そこまでやるのはちょっと、と考えるならば、それは自由なのですが、それは、いくら主張しても「認識の違い」で片づけられるでしょう。向こうにすれば、サッカーの試合でいえば、「ラインのギリギリを使うのはフェアではない」といわれているのと同じで、「使いたくなければご勝手に」という感じですか。 ルールのギリギリの見極めが西欧文化の産物だからこそ、アフリカのチームはファウルのやり方が下手だったり、アジアのチームが妙に律儀なサッカーをして自滅したりするわけです。日本のサッカーを世界に、と思うのであれば、こういう文化的なカベを乗り越えることも課題のひとつだということは忘れるべきでないでしょう。 個人的には、マテラツィの言葉は、肉親ないし家族に対して向けられたものではないか、と想像しています。ジダンぐらいに経験豊かな選手であれば、自分に向けられた言葉は受け流せるのではないかと思うし、個人の積み重ねであればこそ、それぐらいに家族・親族を大事にするのが西欧の文化だからです。レイシズムの問題と重なるとすれば、「おまえの父ちゃん、アルジェリアのテロリストで、国にいられなくなったからフランスに来たんだってな」という発言だったケースでしょうか。
by ka-takeuchi
| 2006-07-11 21:34
| サッカーW杯
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