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「日本は極めて同質な国」 伊吹文科相が民族めぐる発言 伊吹文明文部科学相が長崎県長与町で行われた自民党の支部大会で25日、「日本は大和民族が歴史的に統治してきた。日本は極めて同質的な国」などと発言した。日本と民族をめぐる自民党議員の発言としては、1986年に当時の中曽根康弘首相が「日本は単一民族国家」と発言し、アイヌ民族が抗議した例などがある。伊吹文科相は「教育再生の現状と展望」のテーマで約40分講演。 うーん、ちょっと理解に苦しむのですが。 この記事だけで、何を判断すればよいというのでしょう? 価値判断をするだけの材料をまったく与えてもらってないのですが、どうやら記事のトーンは批判的。では、その根拠は? 日本は単一民族の国ではありません。ですから、かつての中曽根発言には、引用されている部分だけで、すでに問題ありです。ですが、この伊吹発言はどうでしょう。歴史的に、天皇による支配と説明できる時期が長かったわけですが、この時代は当然民族的な振れはないですね。もちろん、統治機構の中には帰化人、渡来人も含まれていたりするわけですが、「全体として」とは言えるでしょう。鎌倉、室町、江戸幕府の時代も、特に民族的な差異があったという話は聞いてません。であれば、それを大和民族というのかどうかは自分は確信が持てませんが、ひとつの民族によって構成されているわけではなくても、統治されてきたというのは、大間違いではないのではないかと。んで、だからこそ、少数民族の扱いが歴史的問題として存在し続けたのではないかと。少なくとも、「そうではない」と事実を突きつけられたならば、伊吹クンを責めるわけにはいかない程度には、ワタシももの知らずということになります。ただ、自分は歴史は好きで、テーマに偏りはあっても、わりと勉強した方だと思うんです。そのワタシが知らない歴史的事実が「一般常識といっていい知識」である可能性は、かなり低いと信じてまして、それを知らないからといって伊吹クンを批判する気にはあまりなりません。 後半部分の「同質」については、民族関連の発言である前段と関連しているかどうかは、この引用だけからは判断できません。関連しているとすれば大間違いですが、関連していないとすれば、「誤解を招く言い回しをしたこと」が問題となるぐらいでしょう。また、ワタシは、現代のネイティブ日本人は価値観、ものの考え方が極めて似通っていると思ってますし、これは「極少数による圧倒的多数の支配の長期的継続」「その圧倒的多数の、自立的思考からの隔離」「明治以降の極端な西欧崇拝と嫌悪の同居」が歴史的にもたらしたものだと思っていまして、これを「同質」と表現することは可能である気がします。もちろん、それと同じ意味で伊吹クンが「同質」と言ったのかどうかは知りませんが、すくなくとも、「そうではない」と断言する材料も、ここでは与えられていません。 もちろん、伊吹クンを擁護するためにこの文を書いているわけではありません。彼の発言が「問題なし」となる可能性を論じているだけで、実際はやはり問題があるのかもしれませんし、ワタシが指摘した可能性の方が低いのではないかと、自分でも思います。もう一歩突っ込んだ取材がなければ、確信を持った価値判断は出来ない、ということです。 ただ、よく注意してほしいのですが、この記事は事実を書き連ねているだけで、仮にワタシが指摘した可能性が当たっていても、「別に伊吹大臣を批判した記事ではない」と言い抜けることが出来るのです。報道するという意思決定、選択する事実が価値判断を含んでいるだけで、記事の中にはなんの価値判断も示されてはいません。だから、「事実のみを報道した」と主張できます。自らの手を汚さずに、具体的に特定の価値判断を表明するという行動を国民に押しつけるわけです。ある意味で、報道としてもっとも卑怯な姿勢といえるでしょう。 あらゆる報道は、そのウラに特定の価値判断があります。事実のみを報じた中立的な報道などあり得ません。実際、この「事実のみ」の報道でもけっこうな人がその価値判断に動かされているわけです。ワタシも記事を見た瞬間には、動かされかけました。報道機関は、それを自覚し(しているとは思いますが)、国民に周知させ、自らの価値観を常に国民に問い続けるという姿勢がほしいですね。それは、ただ闇雲に批判を重ねるのとはわけが違います。ぶれない価値判断があれば、ある程度の期間をとったときに、同じ機関の批判同士が矛盾する、なんてことも起きないでしょうし。 (追補)人権関連の部分に言及した記事もあるようですが、これによって上に記したことは影響は受けませんね。やはり事実が報じられただけですし、人権が公序良俗によって制限を受ける場合があり、また、権利と義務、自由と責任が表裏一体であるのは、それこそ常識ですから。発言者の価値観を問うには、やはりもう一段突っ込んだ説明が必要です。
by ka-takeuchi
| 2007-02-26 14:17
| 社会(マスメディア)
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