カテゴリ
全体 政治 経済 経済(牛肉輸入) 経済(郵政) 趣味 趣味(音楽) 国際 教育 スポーツ スポーツ(野球) スポーツ(サッカー) ツール・ド・フランス サッカーW杯 スポーツ(駅伝) 競馬 社会 社会(NHK) 社会(マスメディア) その他 未分類 以前の記事
2007年 10月 2007年 09月 2007年 05月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 フォロー中のブログ
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ディープインパクトは3着 仏競馬の凱旋門賞 【パリ1日共同】競馬の世界最高峰レース、凱旋門賞(2400メートル芝8頭、G1)は1日(日本時間2日未明)、パリのロンシャン競馬場で行われ、期待のディープインパクト(牡4歳、武豊騎乗、池江泰郎厩舎(きゅうしゃ))は3着に敗れ、日本馬初優勝はならなかった。昨年の有馬記念以来となる通算2敗目。 結果には特にこだわりはありません。ディープインパクトが強い馬であることは間違いないし、強い馬が必ず勝つとは限らないのが競馬ですから。 気になったのは、凱旋門賞に押し寄せた日本人観客がどうだったのか、ということ。5千人の日本人がロンシャンを訪れた、と聞いたときから心配していたのですが……やっぱり、という感じです。 仏メディア、“競馬場、日本が「侵略」”と熱狂を報道 ものすごく、ニュートラルな記事になってます。しかし、英語だろうがフランス語だろうが、「侵略」という単語がニュートラルな意味で使われることなどあり得ません。フランス人は、押し寄せた日本人に、明らかに不快感を感じていたのです。熱狂を伝えるための記事なんかじゃありません。日本人批判です。 西欧文化圏において、競馬場は観戦の場であり、ギャンブルの場であるとともに、社交の場です。これは、競馬がもともと貴族の道楽であったことから来るもので、その伝統は現在まで脈々と生きています。スタンドは一見日本の競馬場と大差ありませんが、メンバーズエリアは普段の開催においても、土地の名士が交流する場であり続けています。開催側も、頻繁にレセプションやフォーマルな食事を開催して交流の場を提供します。 それが、メンバーズエリアの外まで広がるのが大レースが開催される日で、だからこそ、競馬場が着飾った男女で埋め尽くされるわけです。 そこに、開門前から殺到した普段着の日本人が大量に流入したらどうなるでしょう。多くの人が期待していた華やかな一大社交場は、「台無し」になりかねません。 ディープインパクトの挑戦は日本競馬にとっても重要なイベントでした。日本人がそれを応援したいと思っても、それは当然でしょうし、否定する気はまったくありません。ですが、競馬が文化である以上、他国の文化を尊重しながらそこに入っていく、というのも、これまた当然のことではないでしょうか。 念のためにいえば、ワタシの批判は特に、あおるだけあおって、こういう大事なことをまったく伝えないマスメディアに向けられています。松岡修三がタキシードを着ていればそれで済むものではありません。マスメディアは、多くの日本人が欧州で恥をかくことを知っていて放置していたことになります。 #
by ka-takeuchi
| 2006-10-03 16:30
| 競馬
<テレビ朝日>申告漏れ額は1億5000万円 東京国税局 テレビ朝日(東京都港区)が東京国税局の税務調査を受け、05年3月期までの3年間で約1億5000万円の申告漏れを指摘されていたことが分かった。そのうち約1億3000万円は、情報番組などの下請け制作会社などへの架空の外注費と判明し、国税局は悪質な所得隠しと認定したという。追徴税額は、重加算税を含め約6000万円に上るとみられる。 どうでもいいんですけどね。こういうケースで自分たちが他の業界に詰め寄ったやり方をよく思い出して、不誠実といわれないような対応だけは期待します。 指摘されていた、ってことは、それを隠してたってことですよね。これも、それ型の業界で発覚した場合に、自分たちがどう対応していたかを、よく思い出してくださいね。 あ、そうだ。「調査中」とか、「上は知らない」とか、「手違い」とか、そういうコメント、嫌いですよね。 #
by ka-takeuchi
| 2006-09-28 14:51
| 社会(マスメディア)
<飲酒運転>「直ちに免職は行き過ぎ」 兵庫県知事 兵庫県の井戸敏三知事は26日の定例記者会見で、職員の飲酒運転を厳罰化する自治体が相次いでいることについて「飲酒運転をしたから直ちに免職というのは、行き過ぎているのではないか」と述べ、疑問を示した。飲酒運転以外の処分案件と比較した場合に「懲戒処分としてのバランスをあまりにも欠き過ぎている」と説明した。 飲酒運転は故意に法を犯しているわけだから、過失ではなく犯罪である。しかも、かなり重い犯罪である。重い犯罪を犯したものを組織としてどう処分するかは、一義的にはその組織にゆだねられるわけで、「こうしなければならない」という所与のルールがあるわけではないが、客観的に見て「重大犯罪者がデフォで懲戒免職」が重すぎるとはとても言えまい。静岡県、兵庫県の両知事はこのあたりのバランス感覚を欠いているといわざるをえない。トップ失格だろう。ここまではいい。 ワタシの懸念は、この記事に限らず報道全体の流れが、「飲酒運転の問題と、公務員の飲酒運転の問題が、すり替わっていないか?」ということである。両知事のようなケースはともかく、一般的には様々な地方自治体が「飲酒運転即免職」や「同乗者も免職」といった方向を打ち出している。これは、それをさらにテコとして、方向を打ち出していない地方自治体や他の行政機関への圧力を強めるネタになるだろう。で、民間企業はどうなのだ? 自営業の人はどうなるのだ? どう自らを律している? 報道する側は自らを律していることを示すためにも、率先して処分に関する内規を公表すべきではないか? 官庁と同じか、それ以上の存在感をもつトク丸つきの大企業などがどう対応しているのかは、官庁と同じぐらい重要な意味を持たないか? 公務員の○%が飲酒運転の経験を持つ、というような報道は見たが、それは日本人全体の比率と比べて、高いのか低いのか? 民間企業が、自営業の人が、それぞれのルールを作って自らを律しているならそれでいい。だが、ワタシはその具体例が知りたい。公務員の飲酒運転の問題を追及するにしても、なぜ、「民間企業のほぼすべてが飲酒運転を懲戒免職とする内規をもっている」といった具体的なデータをもって行政に詰め寄らないのだ? そういうデータが存在しないからではないのか? 公務員が飲酒運転をしたら、それは重大な問題である。だが、それは、彼(彼女)が公務員だから重大なのではなく、飲酒運転自体が重大な問題なのだ。それに比べれば、彼(彼女)が公務員であるか否かは些事だ。飲酒運転は公務員の問題ではない。日本人の問題なのだ。報道する側が、そしてそれを受け取るものが、それを明確に意識し続けない限り、この問題は一過性のものとして終わるだろう。そして、また飲酒運転による事故が繰り返されるに違いない。 ちなみにワタシは酒は飲めないし、飲まない。飲みたいと思うこともない。だから、この件に関しては胸を張って偉そうなことを言い続けたい。 (追補) 今朝の読売新聞に、「全国の都道府県及び政令指定都市の6割が飲酒運転厳罰化」という趣旨の記事を掲載していた。6割という数字をどう見るかは人によるだろう。で、自分が関心をひかれたのは、社会面にあった関連記事だ。 「公務員の即免職は厳しいとは言えない」 という見出しである。 お、いよいよ出たのか、と思いきや、中身を見ると、「民間企業でも、即免職を定めているところもある」という話だった。しかも、例として引かれているのは、アルコール飲料や運送業。はっきり言って、公務員以上に当然、という業界である。 報道に見られる日本語力の欠如は昨今ますますひどくなっているが、これはどうしたものか。これでは、記事の中身は「公務員の即免職は厳しすぎる」という結論を支持するも同然ではないだろうか。もちろん、どういう結論を支持してもいいのだが、どういう記事内容がどういう結論を補足する材料となるのか、それぐらいは判った上でものを書いてもらいたい。 で、残念だが、やっと出てきたデータは、本件では公務員が民間に先行している、ということを示唆している。で、今やるべきは、両知事の批判か、それとも、民間の対応を急がせることか。もちろん、どちらも必要だ。だが、重点目標は定める必要がある。 このままでは、「報道機関も民間企業だから、民間企業が厳しい規則を定める流れを作りたくない」と勘ぐられても仕方あるまい。どう考えても、飲酒運転と無縁の業界とは思えないのだから。 #
by ka-takeuchi
| 2006-09-27 11:08
| 社会
<植草客員教授>今度は女子高生の体触り現行犯逮捕 名古屋商科大大学院客員教授の植草一秀容疑者(45)=東京都港区白金台=が、電車の中で女子高校生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反容疑で現行犯逮捕されていたことが分かった。 こんな人のこと自体はどうでもいいんですけど、堀江貴文を持ち上げた自民党は、そのあとそれをネタに叩かれたわけじゃないですか。で、この植草某、一時はマスコミの寵児になりかけたわけですよね。持ち上げて、コメンテーターとしておだて上げて。 第四の権力としてはその道義的責任と、最低でも人を見抜く能力のなさを公に自省して、今後の同種案件再発防止の方法なんかを提示してくれたりしないんですかね。 #
by ka-takeuchi
| 2006-09-15 09:56
| 社会(マスメディア)
手配の同級生か、遺体発見 山口の山中、バイクも 山口県周南市の徳山工業高専で土木建築工学科5年中谷歩さん(20)が殺害された事件で、殺人容疑で指名手配されていた同じ研究室の男子学生(19)のミニバイクと男性の遺体が7日、同県下松市の山中で見つかった。周南署捜査本部は遺体が男子学生とみて身元の確認を急いでいる。 うわ、何日ぶりの更新だ? 1ヶ月ぶりに、ご飯を残したまま電源を切った炊飯器をのぞき込む気分。 とにかく、これで事件は終わるのだろう。さらに真相を解明する道は閉ざされたに近いのだから。もちろん、少年が本当に自殺で、どこかに遺書でも残していれば話は別だが。 で、このことのもつ本当の意味を、いったいどれだけの人が認識しているか。少年は、もともと「容疑者」だった。疑いはかけられているが、それだけだ。「犯人」ではないのだ。限りなく黒に近いにしても、ひょっとしたら事件と無関係かもしれないのだ。現時点では、誰も少年を犯罪者として糾弾する立場にはない。そして、少年の死によって、別のルートから真相の完全な解明が行われない限り、永遠に彼は「容疑者」のままなのである。 これだけ「誤認逮捕」「冤罪」が社会の表面に出てきているのだ。まさか、100パーセント「容疑者」イコール「犯人」だとすべての人が考えているわけではあるまい。考えているならば、その信念に従って行動すればいいが、その人は、別のケースではもっと警察を庇ってやるとよい。 もちろん、被害者の遺族は納得できまい。その点は深く同情する。だが、それとこれとは話が別だというほかはない。遺族が、そして世論が糾弾することが許されるのは、犯人だけだ。「自分が普段使っているひもを使って誰かが被害者を殺害し、それを発見した少年が怖くなって逃げ、出頭する勇気が出ないままにその後の展開に悲観して自殺した」、という可能性は限りなく小さいだろう。だが、それがゼロであると断言できる人間は、すでに存在しないのである。 日本の法律では、有罪の判決が確定するまでは無罪が推定される。そして、これは近代西欧社会の産物であり、日本に特有のものではない。「容疑者」イコール「犯人」として死者にむち打ちたい人は、個別のケースの話だけを勝手に積み重ねる前に、この法原則に正面から挑んでもらいたい。 #
by ka-takeuchi
| 2006-09-07 17:07
| 社会
|
ファン申請 |
||