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参拝やめれば会談応じる=靖国問題で中国主席 【北京31日共同】日中友好議員連盟など日本側友好7団体の代表団(団長・橋本龍太郎元首相)は31日午後、中国の胡錦濤国家主席と北京市内の人民大会堂で会談した。胡主席は小泉純一郎首相の靖国参拝について「A級戦犯が祭られている靖国神社を日本の指導者がこれ以上参拝しなければ、首脳会談をいつでも開く用意がある」と表明した。 ちょっと時間があきましたが……。 このての発言、いいかげん飽きてきました。そして、ひとを飽かせるその発言に乗せられる報道機関の方々にも、一部政治家の方々にも、ほとほとうんざりです。 中国との関係は重要です。良好な関係がアジアの平和に貢献するとは必ずしも思わないのですが、良好でない関係が他の国にとって迷惑であることは間違いありませんから。ですが、これは関係改善への意欲を示した発言とは、全然思えません。一方的に日本に行動を求めているにすぎないでしょう。そして、「良好な関係」というのも、どのようなものがそれにあたるのか、まったく検証されていません。後発途上国の横面を、国際金融界の暗黙のルール完全無視の金で張って関係を作り上げることを「関係強化」としているわけですから、「対等で良好な関係」をイメージしているとは、とても思えませんけどね。 靖国自体は簿妙な問題だと思います。戦場でなくなった方々の霊を弔い、悲劇を繰り返さない、という思いを新たにすること自体は、つい何十年か前に国民にどん底を見せてしまった国の指導者としては当然だと思いますし、歴史から学ぶべきとする中国の言い分にすら沿ったものでしょう。しかし、A級戦犯の合祀はちょっと、ね。戦場で命を落としたわけでなく、悲劇を起こした、またはより悲惨なものにした責任を問われた人たちと、戦場で命を落とした人たちが同じ「英霊」と扱われることには、違和感があります。裁判の性格についていろいろな意見があるのはわかりますが、とにもかくにも法廷で裁かれ、その結論を覆す試みが国としてなされているわけではありませんから。 一方で、参拝しなければ中国との関係がうまくいくとはまったく思いません。「戦犯が合祀されていない靖国参拝」ならどうだ、という点には、かつて何もこたえていないはず。関係改善への端緒をつかみたいという気持ちがあれば、「せめて分祀しろ」ぐらいの妥協案はでてきそうなものです。である以上、「靖国参拝」自体が問題ではない、と考えるほうが自然です。その次は教科書、そして賠償、と次々に別のものが出てくるでしょう。靖国参拝を「やめさせること」が、なぜかいまの時代は目の前を走っているかつての朝貢国を、元の位置に引き戻す第一歩にすぎない、という見方は、そんなに無理のあるものでしょうか? 言っていることを、「自分の前にひざまずけば会ってやらないでもない」と解釈するのに、そう違和感はない気がしています。 歴史と向き合うことは重要です。先の戦争についていえば、当時の国際情勢を考慮に入れたとしても、暴走であったことは国として認めなければならないと、わたしは考えますし、そのために「靖国参拝」は無意義なことではないはずです。 一方で、「靖国参拝」すべきではない、という意見もあり得ます。「参拝」にあたって人がもつ心の中の思いがそれぞれである以上、認められない、という考え方もあるでしょう。ただ、それは国民が議論して結論に到達すべき問題で、「中国との関係改善のために右から左」という問題では決してありません。たとえ本心は違っていても、中国に言われたからだと解釈されうる行動はとってはならない、とすら言えます。対中関係とのかねあいでしかこの問題に触れないのは、それこそ主権者たる国民としての責任放棄でしょう。
by ka-takeuchi
| 2006-04-04 13:54
| 国際
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