カテゴリ
全体 政治 経済 経済(牛肉輸入) 経済(郵政) 趣味 趣味(音楽) 国際 教育 スポーツ スポーツ(野球) スポーツ(サッカー) ツール・ド・フランス サッカーW杯 スポーツ(駅伝) 競馬 社会 社会(NHK) 社会(マスメディア) その他 未分類 以前の記事
2007年 10月 2007年 09月 2007年 05月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 フォロー中のブログ
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
夢のためフリーターも 学生4割肯定、親は否定的 夢をかなえるためならフリーターもいいと4割の学生が肯定するが、親は半数近くが“拒絶反応”-。東洋大(東京都文京区)が4月上旬に実施した新入生親子アンケートで、「フリーター観」の大きな違いが浮かび上がった。 「夢をかなえるため」 美しいフレーズです。それに、「夢のためにバイトで食いつなぎながら努力する」というのは、個人の生き方としてはアリでしょう。それこそ、個人の自由です。食いつなげなくなって、「夢をあきらめて収入を得る道を選ぶか、飢え死にするか」の選択をする覚悟まであれば。自由というのは、自分の行動の結果にまで責任を持つところまで含めての概念です。行き詰まったら親に頼るというオプションを最初から勘定に入れているのでは、そもそも最初の段階で行動選択の自由を持つ資格がないわけです。「夢をかなえるためならいい」と答えた人のいったいどれだけが、このことを認識しているのか、興味ある点ですね。というか、そこまで訊かないアンケートって、何の意味があるのか……。 収入、というのは、社会というシステムに貢献することに対して、社会からえる報酬です。その意味では、バイトも同じなのですが、なぜバイトとして人を募集するかといえば、その仕事が、状況によって必要になったり不要になったりする位置づけのポジションだからです。すなわち、社会がうまく機能していれば生み出されるエキストラの仕事、言い換えれば、システムに積極的に貢献している人たちが提供している二次的な役割であるわけです。ここに正社員として働くことと、バイトで働くことの違いがあります。フリーターとして生きる、ということは、二次的な役割のみを果たす、ということになります。あくまで、原理としては、ですが。 そもそも、フリーターとひとくくりにするところから乱暴です。人間として生まれて、社会システムに積極的に貢献する意思があるにもかかわらず、残念ながらその機会に恵まれず、二次的役割を果たすにとどまらざるをえない人に対しては、社会はセイフティ・ネットを提供すべきだと思います。しかし、「二次的な役割しか果たす気がない」人に対して、社会が何かしてやる必要があるでしょうか? そして、後者が典型的なフリーターなのだとしたら、前者を同じ言葉でくくってよいものでしょうか? 政策として行うべき「フリーター対策」があるとしたら、それは前者のみを対象とすべきではないでしょうか。 また、後者の増大を防ぐということなら、それは社会全体の問題となります。「日本を、世界をどうしたいのか」という観点から、官と民を問わず、学校教育と家庭教育全体を巻き込みつつ、国民レベルでの大議論が必要になるでしょう。付け焼き刃でできることではありませんし、いま現在フリーターである人間に何をする、という問題でもありません。 最後に繰り返しますが、夢を持つことは否定しません。ですが、夢を持つ、ということは純粋に個人の問題です。個人が自由意思で選択した結果に、社会が後押しをすることを当然に期待するとしたら、それは大きな誤りでしょう。余裕があれば、後押しすればいいと思います。ですが、そうでなければまったく不要です。社会に甘えたまま、自分の勝手を通そうとする人を、「社会の寄生虫」といいます。 (追記) 少し論旨の混乱に気づきました。意図せずにやむを得ずフリーター生活を余儀なくされる人たちには、社会は何らかの手を打たなければならないでしょう(ですから、下のコメント返しに書いた「懸案が減る」というのは、正確ではありませんでしたね。申し訳ありません)。また、夢を追ってフリーターになることは、自己責任において行われる限りで何の問題もありません。従って、夢のためにあえてリスク覚悟でフリーターの道を選択する人は、たとえ「二次的職種にしか就くつもりがない」としても、夢のなかみによっては可能な範囲でサポートできればいいのでしょう。たとえば、起業支援とか、下積み劇団員の方のための宿舎提供、とか。要するに、税金を使ってほしくない対象というのは、ただ社会システムに組み込まれることを拒みながら、結局社会に寄りかかっている人たちだということです。
by ka-takeuchi
| 2006-05-02 11:02
| 社会
|
ファン申請 |
||