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<W杯決勝>イタリア、PK戦制し24年ぶり優勝 サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会は第25日の9日午後8時(日本時間10日午前3時)、ベルリンで決勝のイタリア-フランス戦が行われ、イタリアが1-1のまま迎えたPK戦を5-3で制し、24年ぶり4回目の優勝を果たした。 PS2のコントローラーをガチャガチャやりながら、眠いのをこらえてキックオフを待った。イタリアが追いついたところで、「なんか、これでまたまたPK戦、とかいうことになったりしてなぁ」とふと思う。そして前半を見終わったところで意識を失う……。ふと目が覚めると、デル・ピエロがPKを決めていた。「お、これでイタリアか?」と思うまもなく、PK戦であることを知る。おいおい……。ジダンが退場になったことを知ったのは試合後でしたとさ。 試合自体は前半しか見ていなかったが、攻撃重視とのふれこみとは裏腹に相変わらず相手にボールをもたせ続けているイタリアと、ただもたされているだけの時間が多すぎるフランス、という印象で、「もたもたした試合だなぁ。これが決勝か」と思っていたが、果たして後半や延長はどうだったのかしらん? フランスは予選でピンチに陥ったあげくにジダンを復帰させて、急にチームが機能して予選突破したわけで、それもあって「プラティニ以来の英雄に花道を」がチームのみならず、国内でもけっこう大きな世論となっていた。だが、当のジダンは決勝でこの始末。ヘッドパッドのかまし方、その後の素振りを見てもレッド覚悟の確信犯。背負った国旗を忘れた行為である。そして、フランスはPK戦に持ち込まれ、ジダンを欠いたために、蹴るオーダーが心づもりとズレてしまった。トレゼゲが外したことに、イメージと違う順番で蹴ったことが影響していないとは思えない。 優勝候補筆頭だったブラジルは、チーム内の皮算用に走りすぎて国民を忘れたところに落とし穴があった。フランスは、チームの軸が国旗を忘れた瞬間に勝利を逃がした。ドイツは、いくら変わったといっても、とても準決勝までいける力はなかったのに、国民の声援を力に代えた。イタリアは、「W杯の勝利はイタリアにとって、戦争に勝つのと同じこと」(トリノの自営業グイド・カタラーノさん(33))と考えている。 結局は国旗をより重く感じていた国が勝ったわけである。W杯とはそういうところだ。そもそも選手が国旗と国の誇りを背負っているつもりのない国などお呼びでないのだ。W杯対策を考えるときに、フィジカルや技術面など後回しでいい。W杯を理解させることから始めなければならない。それには、「なぜW杯が戦争なのか」を理解せねばならず、このために、「サッカーは文化であり、文化は国民自身である」ということを、サッカーに関心を持つすべての人が心得なければならないだろう。朝のワイドショーでコメンテーターがサッカーにも口を出すことはかまわない。裾野は広ければ広いほどいい。だが、電波に乗る発言をする人は、自分の発言に責任を持たねばならない。 今日の朝の某局のコメンテーターの発言に「ジダンが退場になってなくて、アンリに代わったトレゼゲではなく、アンリが蹴っていたらどうなっていたかわからなかった」というのがあった。確信犯のジダンの退場や、延長を勝つために入れたトレゼゲの交代という事実を考えれば、これだけ「たら」を重ねては意味がない。そもそも、アンリはトレゼゲではなくヴィルトールと交代した。このコメンテーターがもともとフランスの選手の名前をジダンとアンリしか知らず、トレゼゲがどのレベルの選手かも知らないこと、そもそも試合をまともに見ていないことが丸わかりである。こういう浅薄な口出しは、有害でしかない。こういうのは、裾野が広がったとはいわないのだ。W杯を理解するとは、こういう人がいなくなるということも指す。実に遠い。
by ka-takeuchi
| 2006-07-10 11:37
| サッカーW杯
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