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自転車レース=ツール・ド・フランスでランディスが総合V [パリ 23日 ロイター] 世界最高峰の自転車ロードレース、ツール・ド・フランスは23日、最終第20ステージ(アントニー・パルク・ド・ソー―パリ・シャンゼリゼ、距離154.5キロ)を行い、フロイド・ランディス(米国)が総合優勝を飾った。 いったい、このレースの結果がどうなったかを知りたいと思う人がどれだけいるのか。そのうち、J-SKY SPORTSで中継を見ていない人がどれだけいるだろうか。 ワタシ自身は、今年も中休みをはさんで3週間以上、1日平均4時間以上、このレースを見続けた。毎日クイズがあって、毎日当選者が発表されるが、応募者は3000人を超えない。たぶん、見ている人間は平均してその2~3倍ぐらいだろう。毎日1万人弱の決まった人が見ていて、毎日決まった人がクイズに応募する。たまたま見逃した人は、報道ではなく、次の日の放送の冒頭のダイジェストで結果を知りたいと考える。当然だ。このレースの結果というのは、レース展開も含めて理解しなければ意味がないのだから。 この記事だけで全体を推し量れる人はいない。いや、毎日の報道を追っていても、せいぜい「今年はリーダーがよく変わった」ということが判る程度だろう。だが、それでは今年のツールについてごくわずかな理解しか得られない。形だけ報じるぐらいなら、いっそ切り捨てればよいのに、と思う。記事を書いた人、それをキャリーする人が誰に何を伝えたいのか、さっぱり見えない報道は見ていてあまり気分がよろしくない。 本当は、それこそ前日の第19ステージが終わったときに、ハスホフトの勝利以外は同じ内容を報道してもよいのだ。なぜそうなるかは、見ていなければ判らない。いや、実は見ていてもはじめはなかなか判らない。それは、このレースが西欧文化の縮図のようなものだからだ。個々のチームをひとつの国に見立てれば、まさに欧州の政治がそこにある。 ・相手を背中から刺すタイミングを考えながら笑って握手する ・秩序の構築に協力した国だけが覇権を争うことを許される ・小物が動き回っても放置するが、大物の利益を害する行為は誅される ・目的が違う相手は、自分の利益を害しない範囲で尊重する ・自分の利害に関係ない争いには一切関与しない ・一度秩序が再構築されたら、それを全員で祝福する 等々。植民地時代の西欧ナショナリズムそのものだ。 かつて、ツールはフジテレビが深夜でダイジェストを放送していたが、それすらなくなってしばらくたつ。まあ、ダイジェストでは、ただ何となく見るような人は何も理解できないだろうが、深夜の30分枠すら維持できない程度の関心しか日本にはない。 日本の戦国時代がもう2~300年続いていれば、このレースを感覚的に理解する土壌が出来ていたろう。だが、現実には狭い国土で群雄割拠は短い期間で終わり、我々はこのレースを頭で理解するしかない。この国ではそういう対象は、はば広い関心を呼ばないのだろう。 #
by ka-takeuchi
| 2006-07-25 10:43
| ツール・ド・フランス
【ロンドン12日共同】国際サッカー連盟(FIFA)が12日、新しい算出システムによる世界ランキングを発表し、日本はワールドカップ(W杯)ドイツ大会前の18位から49位へ急降下した。新システムは対象となる試合を過去8年間から4年間に短縮。試合の重要性や地域による特性、対戦国の実力などを考慮に入れて計算する。 直観的には、きわめて妥当なところじゃないでしょうか。カネを出す国におもねるランキングで首をひねらせるよりも、順位を見ただけで自分の位置づけを知ることが出来るようなものが望ましいのは当然。心技ともに日本がW杯に出る水準に達していないと考えるワタシとしては、上位32ヶ国の外側に位置づけられる、というのは最低限の希望でしたからね。前回ワールドカップ以降、今回初出場だったトリニダード・トバゴやアンゴラ、決勝Tに残ったエクアドルなどと日本は試合をやってますが、ランキングを頼りに格下扱いしていたのを覚えています。ずいぶん違和感を感じましたが、少なくともこれで、エクアドルを格下扱いする人は少なくなるんじゃないでしょうか。 それにしても、ベスト8で消えて、なおかつ1位に踏みとどまるんだから、ブラジルっていったい……。カフーとロベカルの後釜(シシーニョではちょっと弱い気がする)をきっちり見つけてくれば、2010年もやっぱり優勝候補筆頭だね。そしてやっぱり2番手はアルゼンチン。今回買っていたイングランドはおそらくいまがピーク。オランダはファン・ニステルローイの後釜として真ん中に陣取る選手が見つかれば、ロッベンやファン・ペルシーも生きるのだがどうか。フランス、イタリア、ポルトガルは2008年をどう乗り切るか、ですね。 #
by ka-takeuchi
| 2006-07-13 09:39
| スポーツ(サッカー)
千葉に金銭面で補償 オシム氏の代表監督就任で 日本サッカー協会の川淵三郎会長は10日、オシム氏の日本代表監督就任に当たってJリーグ1部(J1)千葉に金銭面で補償をする考えを示した。千葉と契約中のオシム氏を引き抜くことになるため。同時に千葉側の心情を考慮して「オシム氏との契約は、千葉が新たな監督と契約を結んだ段階ですべきだ」と話した。 補償、って言葉、いい加減で好きじゃないな。「わりいな」と片手をあげる程度の気持ちのものなのか、千葉とオシム氏の間の契約が破棄されたことに伴う、違約金としての法的に意味のあるものなのか、まったく明確ではない。 「契約の細かいところを詰めたい」とか曰っておられるぐらいだから、後者ですよね? まさか、「代表監督にするんだから、クラブは涙をのんでね」と本気で思っていたりしていないですよね? そんなの、日本で通用しても、日本以外では絶対通用しませんよ。そして、それは日本のサッカーが世界に通用しない、というのと、無関係ではないということをわかっていますね? どれだけ、サッカーをシリアスなものと考えているか、のひとつの表れなんだから。 #
by ka-takeuchi
| 2006-07-11 21:54
| スポーツ(サッカー)
(追記-2006年07月13日) 真相告白、といいつつ、マテラツィの発言内容については伏せられたままでした。それはいいと思います。ジダンがあえて避けているのを、しつこく「内容は?」と迫るキャスターは、生理的嫌悪を感じさせてくれましたから。 ですが、こんな茶番を見せられるぐらいなら、どちらも口を閉ざしたままでいてほしかったという気がします。ジダンが、これまでの実績にすがって「ボク、悪くないよね」と訴える場にすぎなかったわけで、興ざめです。愚挙に出た根っこについての理解を求めたもので、これを聞いて「ジダンは悪くない」と考える人はけっこういるでしょう。特に、これまで英雄と崇めてきたジダンを「弱い選手」と最終的に結論づけることをためらってきたフランス人には格好のきっかけだったと思います。ですが、これを認めることは、今後いかなる選手が個人的理由でチームに迷惑をかけても、それが個人的であれ正義の実現のためであれば、限定なしに許さなければならないと言うことを意味します。正義の実現に、選手としての才能や能力、そして実績による差別的取り扱いは許されませんから。 ちなみに、ワタシはフランス人ではありませんし、ジダンを許すとか許さないとかを考える気もありませんが、マテラツィの発言内容如何に関わらず、ジダンの行動を理解する気はありません。ましてや、弁解など聞きたくもありません。どんな理由があっても許されない行為であり、それだけです。その意味で、この「真相告白番組」が放送された当日に、FIFA会長が「MVP剥奪の可能性」に言及したのは、わざとやったのでは、というぐらい皮肉がきいた展開でしたね。 (追記終了) 決勝退場のジダンがMVP W杯ドイツ大会 【ベルリン10日共同】国際サッカー連盟(FIFA)は10日、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の最優秀選手に贈られる「ゴールデンボール賞」に、フランスの決勝進出に貢献したものの、決勝で退場処分を受けた司令塔、ジダンを選出した。 ジダンが関与しているから問題がややこしくなっているとしたら、なんか納得がいかないなぁ。同情論が多いというのも納得がいかない。ジダンが自分をコントロールできなかったことは事実だし、こういうケースは過去何度もあったが、こういう問題にはなっていない。もちろん、これがきっかけで暴言問題が注目を浴び、問題意識が高まるとしたらそれはそれでいい。だが、ジダンが頭突きを試合中にかましたことは事実だし、これは彼のキャリアの汚点として残らなければならない(別にただひとつの、というわけではないしね)。 今大会に関しても、おそらくルーニーの退場はロナウドの挑発が原因で、そこには「暴言」もあっただろう。過去をひもとけば、98年のベッカムの退場もシメオネの挑発が原因だし、02年にはオルテガがファン・デル・サールの挑発に乗ってあごに頭突きをかました。暴言で挑発して暴発させる、というのは、W杯においては常套手段なのだ。本来ならばとても褒められたものではないはずのこういう手段があたりまえのように使われる、そうしてまでも勝とうとするのがW杯であることは決して見過ごされてはならないはずだ。 (補足) サッカーは西欧文化の産物であるというのは、厳然とした事実です。西欧社会におけるルールは、「人によって異なる『やっていいことと悪いこと』を定める」ものであり、ルールの範囲内は、最大公約数として「アリ」の世界です。ルールというものの認識が曖昧で、だからこそ「正々堂々」といった感覚が持ち込まれやすい日本の感覚で語っても意味はありません。今回挙げた例でも、加害国は全部違うサッカー先進国です(ポルトガルは少し微妙ですが)。「口で挑発して暴発を誘う」のは、境界線の内側なのです。だからこそ、過去の例は退場した側の愚かさのみが語られたし、今回のジダンの例にしても、その瞬間はフランスの放送局が、マテラツィがなにか言うシーンを確認しつつ、「それはないよ。やめてくれ、ジダン。なんと愚かなことだ」とかいうコメントをしていたのです。 こういうシーンは、通常のリーグの試合などではあまり見られないのも確かで、これは、「勝たなければならない」度合いが、ワールドカップとは桁違いに低いからです。ルールの範囲内ならばフェアなのであり、勝たなければならないときはフェアであればなんでもするのが戦争です。そこまでやるのはちょっと、と考えるならば、それは自由なのですが、それは、いくら主張しても「認識の違い」で片づけられるでしょう。向こうにすれば、サッカーの試合でいえば、「ラインのギリギリを使うのはフェアではない」といわれているのと同じで、「使いたくなければご勝手に」という感じですか。 ルールのギリギリの見極めが西欧文化の産物だからこそ、アフリカのチームはファウルのやり方が下手だったり、アジアのチームが妙に律儀なサッカーをして自滅したりするわけです。日本のサッカーを世界に、と思うのであれば、こういう文化的なカベを乗り越えることも課題のひとつだということは忘れるべきでないでしょう。 個人的には、マテラツィの言葉は、肉親ないし家族に対して向けられたものではないか、と想像しています。ジダンぐらいに経験豊かな選手であれば、自分に向けられた言葉は受け流せるのではないかと思うし、個人の積み重ねであればこそ、それぐらいに家族・親族を大事にするのが西欧の文化だからです。レイシズムの問題と重なるとすれば、「おまえの父ちゃん、アルジェリアのテロリストで、国にいられなくなったからフランスに来たんだってな」という発言だったケースでしょうか。 #
by ka-takeuchi
| 2006-07-11 21:34
| サッカーW杯
<W杯決勝>イタリア、PK戦制し24年ぶり優勝 サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会は第25日の9日午後8時(日本時間10日午前3時)、ベルリンで決勝のイタリア-フランス戦が行われ、イタリアが1-1のまま迎えたPK戦を5-3で制し、24年ぶり4回目の優勝を果たした。 PS2のコントローラーをガチャガチャやりながら、眠いのをこらえてキックオフを待った。イタリアが追いついたところで、「なんか、これでまたまたPK戦、とかいうことになったりしてなぁ」とふと思う。そして前半を見終わったところで意識を失う……。ふと目が覚めると、デル・ピエロがPKを決めていた。「お、これでイタリアか?」と思うまもなく、PK戦であることを知る。おいおい……。ジダンが退場になったことを知ったのは試合後でしたとさ。 試合自体は前半しか見ていなかったが、攻撃重視とのふれこみとは裏腹に相変わらず相手にボールをもたせ続けているイタリアと、ただもたされているだけの時間が多すぎるフランス、という印象で、「もたもたした試合だなぁ。これが決勝か」と思っていたが、果たして後半や延長はどうだったのかしらん? フランスは予選でピンチに陥ったあげくにジダンを復帰させて、急にチームが機能して予選突破したわけで、それもあって「プラティニ以来の英雄に花道を」がチームのみならず、国内でもけっこう大きな世論となっていた。だが、当のジダンは決勝でこの始末。ヘッドパッドのかまし方、その後の素振りを見てもレッド覚悟の確信犯。背負った国旗を忘れた行為である。そして、フランスはPK戦に持ち込まれ、ジダンを欠いたために、蹴るオーダーが心づもりとズレてしまった。トレゼゲが外したことに、イメージと違う順番で蹴ったことが影響していないとは思えない。 優勝候補筆頭だったブラジルは、チーム内の皮算用に走りすぎて国民を忘れたところに落とし穴があった。フランスは、チームの軸が国旗を忘れた瞬間に勝利を逃がした。ドイツは、いくら変わったといっても、とても準決勝までいける力はなかったのに、国民の声援を力に代えた。イタリアは、「W杯の勝利はイタリアにとって、戦争に勝つのと同じこと」(トリノの自営業グイド・カタラーノさん(33))と考えている。 結局は国旗をより重く感じていた国が勝ったわけである。W杯とはそういうところだ。そもそも選手が国旗と国の誇りを背負っているつもりのない国などお呼びでないのだ。W杯対策を考えるときに、フィジカルや技術面など後回しでいい。W杯を理解させることから始めなければならない。それには、「なぜW杯が戦争なのか」を理解せねばならず、このために、「サッカーは文化であり、文化は国民自身である」ということを、サッカーに関心を持つすべての人が心得なければならないだろう。朝のワイドショーでコメンテーターがサッカーにも口を出すことはかまわない。裾野は広ければ広いほどいい。だが、電波に乗る発言をする人は、自分の発言に責任を持たねばならない。 今日の朝の某局のコメンテーターの発言に「ジダンが退場になってなくて、アンリに代わったトレゼゲではなく、アンリが蹴っていたらどうなっていたかわからなかった」というのがあった。確信犯のジダンの退場や、延長を勝つために入れたトレゼゲの交代という事実を考えれば、これだけ「たら」を重ねては意味がない。そもそも、アンリはトレゼゲではなくヴィルトールと交代した。このコメンテーターがもともとフランスの選手の名前をジダンとアンリしか知らず、トレゼゲがどのレベルの選手かも知らないこと、そもそも試合をまともに見ていないことが丸わかりである。こういう浅薄な口出しは、有害でしかない。こういうのは、裾野が広がったとはいわないのだ。W杯を理解するとは、こういう人がいなくなるということも指す。実に遠い。 #
by ka-takeuchi
| 2006-07-10 11:37
| サッカーW杯
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